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デッサンという言葉について。

デッサンとは何ですか??デッサンの練習はやる意味があるの?そう思った、あなたへ。

こんにちは。ティムです。今までこのブログでたくさんのデッサンを公開してきました。

特に断りもなく普通に「デッサン」って言葉を使ってきましたが、美術に関係する人以外には馴染みが薄い言葉かもしれないなーっと思い、この記事を書くことにしました。

今日は冒頭の疑問に答える記事を書きます!なので技法とか道具とか、具体的な描き方のお話はしません。「制作観」みたいな記事になります。

画家や彫刻家がこの話をすると、たいてい説教臭かったりします。それは避けられないのですが、できるだけゆるく!楽しく!もっと身近に!お話します。それではいってみましょう🙋‍♂️

デッサン(dessin)とは

一般的に「デッサン」といったらこれ。

この言葉、もともとは絵を描く方法の一つにすぎませんが、かなり広い意味で使われます。美術批評でよくある「確かなデッサン力」といった抽象的な用法、制作に向き合う姿勢のような精神論的な使い方などなど…。

音楽の「ロック」と似ていますね。音楽ジャンルという意味を超えて、「生き方がロックだ!」みたいな。

そのため厳密な定義、みたいなのは怪しいですが、だいたいこんな意味です。

📝デッサンの定義
  1. 一色で描く
  2. 広義の、「作者が見たもの」をそのまま描く
  3. 技術の練習や下描き的な意味合いで描く

1. 一色で描く

たいてい黒・茶・紺など単一色の画材(鉛筆や画用木炭、ペン、コンテやパステルとか)を使って描いたものをデッサンと呼んでます。なので、筆で描いたのは除外することが多い気が。

2. 広義の、「作者が見たもの」をそのまま描く

「広義の」ってのがポイント。

写真みたくめちゃめちゃリアルに描いたデッサンもあれば、見た目ではなく心の目で見て描いたのじゃ(ドヤ)的な線描をデッサンと呼ぶこともある。

3. 技術の練習や下描き的な意味合いで描く

この文脈でいうと、デッサンは正規の作品とみなされないです。なので画家が売ることもあまりないです。でも美術館には「作品」として巨匠のデッサンが展示されてる場合もあります。

ぶっちゃけた話、ほとんどの画家には人に見せる用のデッサンと練習・下描き用のデッサンがあります。見せてるのはごく一部のうまく描けたやつね。なので、巨匠が人目に触れないよう隠してた練習用デッサンが研究者に見つかって展示されたりしてるの、引き出しの中に隠してた中学の頃の自作ポエムがネットに晒されるのと同じくらい恥ずかしいはず…😱

狭義の「デッサン」

特に日本では、美大の実技入試や入学後の課程で行われる石膏像や静物(びんとか果物とか)を、限りなくリアルに描く本気絵を指します。

この次の話で紹介する、僕が昔描いてた絵が狭義のデッサンですね。

僕のデッサン、昔と今。

ティム学生時代のデッサンが出てきました😃

ティム学生時代のデッサン
ティム学生時代のデッサン

上手い下手は置いといて、技法としてはこれがオーソドックスなデッサンです。

約20年前のものですね。隣に写ってる木彫りうさぎのぷいちゃん、高さが18cmです。こんな大きな紙に描くんですよ。上の方は描くのに肩が凝るんだこれが。

制作時間は、たぶん10時間くらい。鉛筆で描いてます。部分拡大がこちら🔍

ティム学生時代のデッサン拡大
ティム学生時代のデッサン拡大

そして現在、うさぎ作家になってから描いたデッサンがこちらです。比べてみよう!

少しですが描き方変わりました。色薄くなって、立体感の押しが控えめになって、質感描写が繊細になった感じ。

最初の受験用デッサンから、余分な力が抜けて(というか自然に力が衰えて忘れ)足りないところが補われて、今に至る感じです。

というわけで、今、改めて考える「デッサンとは」について書いてみます。

ティム的デッサンとは。

まず基本的な心構えとして、うさぎさんを描いているというよりも描かせていただいているという気持ちで、うさぎさん可愛い!を感じつつ、あわよくばナデナデしたいと思いつつ、握手とかうさ吸いとかできればなお良く、いやもう描かなくていいんじゃね?くらいに思いまs…

さっきの3番の定義でいう技術練習的なものですが、今僕が描いているのは二種類です。

  • このブログでたびたび公開している、写真を元に描いた写実的な鉛筆デッサン。
  • ペットショップなどのご協力をいただいて、目の前のうさちゃんを見て描かせてもらっているクロッキー

特に写実的なデッサンの方は、写真見て描くし(なんなら写真合成してツーショットとか普通にやるし)、毛並みのモフ感を重視して描いてるので、伝統的な美術のえらい人から怒られそうな予感…。。。

そう、伝統的な美術のデッサンの価値観では、

デッサンというものは対象を時間をかけて辛抱強く観察し、モデルの存在や構造をとらえたものでなくてはなりません。写真なんか見てちゃダメ、本物の対象を直接見て描かなきゃダメ。

でも、いーーんです⚽。大丈夫なんです❗

なぜなら、何を見て描くか、自分で考え、自分の価値観に裏打ちされた絵を描いているから。

今の僕は、より深い意味でデッサンしてる自信があります。

それがどういう意味か、お話しますね。むしろここからが本題✨

写真を模写したデッサンはだめなの?

美術界では、写真を見て描いちゃダメ、ってよく言われます。写真を見て描くと絵が薄っぺらく表面的になるそうな。

これは半分正しく半分間違い。

写真見て描くというものの、僕のデッサンでは、描く前にできるだけたくさん写真を見てモデルさんを観察します。動画とかも。で、元写真に選んだやつの画質が不十分ということもありうるので、他の写真を知ってるのと知らないのとでは全然違うんです。

ペットショップやうさぎカフェで、生きたうさぎさんに触れ合う時間も大切にしてます。その時の記憶も加味して描いてます。

下の子はイベントで会ったうさぎさんです🥰

僕は写真の勉強もしたので、どうして写真にはこのように写ってるのだろう?って考えながら描いてます(白飛びとか被写界深度とかパースとか)。写真に限らず、人の肉眼でもそうです。(実際には違うはずなのだが)なぜ僕の目にはこう見えてるんだろう?って考えて描きます。メタ意識、なんていう視点ですね。実際、色の視覚混合など目の錯覚もあるので、自分の目も時には信用できないんです。

一枚の写真から得られる情報は限られてます。自分の目から一度に見える情報も限られてます。その、部分的な情報を見て早合点して描いてしまうと失敗するんです。だから様々な角度からみて、総合的に、公平に判断するわけです。

それをやらないで一枚の写真だけ見て描くと、確かにダメ、という意味になります🙂

少数の情報で断定する危うさ

で、それの何が人間の価値観かというと、例えばネット記事の煽情的な見出し、ありますよね。見出しだけ見て、いいとか悪いとか判断しちゃダメです。記事本文も、都合の悪いことは隠しているかもしれない。

デッサンやってるとそういう断片的な情報を鵜呑みにしない感覚もついてきます。

だから、写真を見て描いたデッサンはダメで本物を見て描いたデッサンは格上、という考えも疑問なんです。「写真を見て描いた」という一情報だけをもって「だめ」と断定してるから。

実際にモデルを見て描くときでも、一部の情報だけで早合点しない観察力を磨く、というのが本来のデッサンをやる意味だったはず。

何を見て何を描き、描かないか

あともう一つ価値観と関係してるのは、省略や説明のお話かなと思います。

僕のデッサンは基本的に見た通りに描きますが、それでも見えてるからと言って全部描くことは無くて、適宜省略してます。形がわかりにくいところはあえてわかりやすく整理したり強調したりして描きます。

これも普段の生活に置き換えると、けっこう身近な問題です。

例えば、友達から「○○さんがあなたの悪口言ってたよ。」って教えてもらったとして、何とも複雑な気持ちになりません?

それ、事実だとしても言う必要ないんじゃない?みたいな。知っていてもあえて言わない、という優しさみたいなの、あると思います。

絵も同じ。時には見えていてもあえて描かないこともあります。知らぬが仏、秘すれば花、みたいなのはありますよ。

ただ、現実を隠してウソをつくと不誠実ですよね。僕も「事実でなくてもそれっぽく描けてればいいんだよ😏」と開き直るのは嫌いです。この辺のバランスは個人の価値観によるとしか言いようがないかな。。。

下の絵、耳を長めにデフォルメ、形の整理もやってます。会ったことがあるうさちゃんの印象重視です。

デッサンは「本質」を描く?

技法書とかを見ると必ず書いてあるのがこれ。デッサンは本質をとらえるトレーニングである、というもの。特に受験用のデッサンの場合、次のような意味合いで言われることが多いです。

「人物や動物を描くとき、表面の衣服や毛皮は現象に過ぎない。その中にある骨格や筋肉を意識して描きなさい。表面の現象に惑わされず本質を見て描きなさい」

これ誤解を招きますね。要注意です⚠

モフ感マシマシ🍜で描いている僕ですが、現象というなら、一切は現象です。人間には現象しか見えません。哲学的な話ですが、この世界が仮想現実ではなく本当の「現実」だということは、この世界の「中にいる」人には永遠に証明できない…。

筋肉の表面が毛でおおわれてるのも、そういう現象としてしか捉えることができないんです。もちろん、毛並みだけしか見ないのは偏った見方になります。ですが、骨格や筋肉だけが本質なわけでもないです。全部ひっくるめて初めて本質(だと僕らが思っているもの)に近づけるんです。

だからこそ、最初の話に戻ります。人間にはいつまでたっても現象しか見えないから、いろいろな方法で観察して情報を集め、物事をとらえないといけないよ、たった一つの見かけで判断してはいけないよ、ということ。

僕は昔ちょっと哲学書を読んで勉強してました。難しすぎるので解説書ね。その影響です。特にフッサール現象学ってのにハマりました。どんな学問かって?まあそこは流していただいて🙄

まとめ

デッサンってこういうものだよ、特に僕はこんな風に考えているよ!というテーマで書いてみました。

一般論では、デッサンとは単色の画材を使い、見たものに忠実に描く画家の基礎トレーニングです。

僕はさらに、モデルさんをさまざまな角度から観察して、見えたものを頭で練って何を描くか描かないか判断して、一枚の絵にまとめあげる工程、みたいな意味付けです。

制作論を語る人を見かけると、その人の作品を見たくなるものです。僕のデッサンはこのブログのタグ デッサン にたくさんあります。なるほど、と思ってもらえるか、口ほどにもないや、と思われてしまうか、言い訳無用の厳しい世界ですから。

というわけで久々の美術論(?)的な記事でした。それではまた、次の記事でお会いしましょう!最後まで読んでくださりありがとうございました。ばいばいっ👋

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