こんばんは。ちょっと今日は力説しちゃいますよ🔊僕が信じている価値のお話です。
僕は民間企業の経験が長いので(今は諸事情で休職してます)、何をするにも合理的だったり定量的(数字で表せること)な根拠が求められるんです。
例えばただ「○○をやりましょう」とか言うだけではだれも理解してくれないので、数字のデータを付けたり権威ある人の意見を引用したりするわけ。📈
で、それは大切なことなんですが、あまりにもそういう考え方に傾きすぎている周囲の人を見ると嫌になってきます。
なぜ、根拠がなきゃだめなのか?
なぜ、ただ「面白そうだから」ではだめなのか?
なぜ、就活生が面接のときに「御社の医療器具を使って祖母の病気が治りました。私もそのような企業で働き、一人でも多くの私のような人を救いたいと思い、志望しました」と言うみたいに良くできた合理的なストーリーじゃなきゃだめなのか?
なぜ、これらのルールを守らないと説得力がないとされるのか?
僕は、ただ「かわいいから」という理由だけでうさぎの絵や木彫りを作っています。
Q:「ぷいちゃんの片耳はなぜ傾いているのですか?」
A:「かわいいからです。」
以上。証明終わり✔
Q:「レイちゃんにはなぜ首マフがあるのですか?」
A:「マフのあるうさちゃんかわいくないですか?」
以上❗
根拠に頼ることは会社みたいにみんなが組織として動くときにはやりやすいかもしれません。
でもそうしているうちに、知らず知らずのうちに自分で責任を取ろうとしない病になっちゃうかもしれませんよ😱
誰かが出した数字、権威ある人の意見、過去の成功事例、こういうのをよりどころにして行動している限りは、周りの人も安心してついてきてくれます。根拠が、自分の「外」にあるから、いざってときは「だって先生がいいって言ったから」みたいに言い逃れできる。
逆に、誰か一人の希望とかセンスとか感情とかを理由に行動したときはなかなか協力してくれません。失敗したらペナルティがあるので、巻き込まれるのが嫌だからです。左遷とかリストラとか辞任とかそういうの。その「誰か一人」が社長や有名人なら、すでにその人は権威ですから。
でね?そういう考えの人は私生活でも
「このブランドの服を着ていれば恥ずかしくないだろう」
「このお店の口コミはいいからおいしいお店だろう」
「ピカソが描いたからすごい絵なんだろう」
って考えるようになっちゃうんですよ。
「かわいい」というのは100%自分の感情なので、「外」には根拠がないんです。それをよりどころにして作品を作るのは勇気がいります。
箸休めにおだんごの画像。かわいい😍
お笑いにこういうのがあります。
👩「映画が好きです!」
🧑「そうなんだ、例えばどの監督が好き?」
👩「えーっと…、うーん…」
🧑「ないんかい!」
お笑いとしては面白いですが、考え方は賛同できないです。目に見えるように例示できなくてもそいつ絶対映画好きですから!それでいいんです。
別の例ですが、「DHMO」ってジョークがあります。興味ある人は調べてみてください。数字(というか合理的、科学的風な)の根拠の危うさの話です。
「私はここのコロッケが世界一おいしいと思っている」というCMがありました。それです!そういうのがいい!
だから、ぼくはシンプルに自分の中にある「かわいい❗」を信じて制作してます。
僕のファンと言って下さった方。まだまだ少ないですが600人を超えるTwitterのフォロワー様。
「かわいい」を信じて発信し続けて、少しずつ、共感してくれる人が増えてきました。とっても励みになります💪
そんなわけで、自分の制作態度のお話をしてみました。今日はここまでにします。また次回お会いしましょう!
PS: ねえ聞いて!来週ぷいの誕生日!🍰✨🎉
ご家庭やお店に木彫りのうさぎさんをお迎えしませんか?
彫刻・絵画・イラスト(アナログ/デジタル)等多数制作しています。
うさぎの作品なら、経験・実績豊富なうさぎ専門作家におまかせください!