「置物」ではなく、「家族」として、木彫りうさぎと共に暮らす
僕はいま、一つのものを長く大切に使う価値観が揺らいでいるなーという危機感を抱いています。
一昔前から、壊れた家電は修理するより新しく買う方が得になりました。洋服なども、長持ちしない製品が増えたような気がします。
更にここ数年では、物を買わずに(固定資産を持たず)経費化する流れが企業の間で加速し、家計でも定着しつつあります。サブスクリプションです。経費とすれば税負担が軽くなりますし、使わなくなったら解約するだけ。あらゆるものが定額サービス化していますね。
それは時代の流れなのですが、ふと立ち止まって考えてしまいます。
「多少値が張っても愛着があるものを、手入れや補修しながら長く大切に使い、かけがえのない一点ものに育てていくのって、素敵だったよな。」って。
物には魂が宿っています。木彫りうさぎも同じ。僕は彫刻家ですが、木彫作品にはタイトルをつけません。
ぷいちゃんやおだんごちゃんというのは、この子たちの名前です。ペットと同じですね。
そして、かわいい小物をプレゼントして、大切に撫でてあげて、写真や動画を撮ってSNSに投稿します。
作品は「完成」というよりも「誕生」。誕生日にはお祝いだってします。
私たちは木彫りうさぎと共に暮らし、共に年を取ります。多少色が焼けても、塗装が落ちても、一緒に暮らしてきた証拠です。
僕は、そんな暮らしも悪くないよ?という価値を発信し続けています。僕の木彫作品が売れたら、ぜひ新しい飼い主様ご自身で、名前を付けてあげてほしいな。
ティムの価値観の根底にあるもの
僕自身が、ものを長く使う暮らしをしています。
革製品が大好きで、財布やバッグ、ジャケットなど、丁寧に手入れしながら使っています。高級ブランドではありませんが、腕時計はオーバーホール(分解清掃)しながら何年も使います。革靴は踵や靴底の交換ができるものを選んで愛用してます。作品のサインに使うのは長く使える万年筆。お気に入りの純銅マグカップも一生もの…。
使い込むうちに経年変化して馴染んでくると、ますます愛着がわいて手放せなくなります。
みなさんも、ありませんか?子供の頃のぬいぐるみが捨てられないとか。人の写真を雑に扱えないとか。
物には魂が宿る。これを教えてくれたのは沖縄のお土産店の店主さんです。大学の卒業旅行の頃ですね。
彫刻専攻の学生だった僕は、沖縄名物のシーサーを買いたくてお店に入りました。店主さんが商品を見せながら言うんです。「この子は…、、、この子は…、、、」って。
そう、お店の人にとっては置物ではなく、命なんですね。
ところで、日本の彫刻といえば仏像なので、彫刻の学生は仏像の勉強をします。彫刻家は仏像を美術品として(感情を割り切って)評価・批評するのに対し、お寺の人は御心の入った仏様だと思ってる。
もともと日本人は八百万の神といって、山でも樹木でも太陽でも何でも神様としていました。物に対して感情移入する方が自然な生き方だったのに。
一方、現代はどうでしょう。
一度売れた彫刻作品はというと、屋外の彫像が雨風で汚れていても、ほったらかしにされている。何か違う…。
そのギャップを感じていた頃、僕は沖縄での体験をしました。ずっとモヤモヤしていた違和感がすっきりしました!学生時代は高いものを買えなかったけど、のちに上述のような生活を始めることになります。
そんな経験がある僕なので、自分で作ったうさぎに名前を付けてかわいがる、という一見奇異な行動(!?)も自然なことなんです。独立した時の記事で書いた理由で、モデルはうさぎ専門になりました。
ティムの活動はこうした価値観とか深い理由とかに根差しているので、ブレません!
以上、僕はいま何を考えていて、どんな社会になったら素敵だと思っていて、なぜこの活動をしているか、独立するずっと前から心の中にあったことを文章にまとめてみました。ただの置物ではない何かを生み出し続けるのが僕の夢です。